泣くこと

講義を受けている時でも、バイトで接客している時でも、突然に涙がわいてくる。もちろん感動の涙ではない。

 

あれがつらかった、これがつらい、じゃなくて、ただ漠然と明るいこれからが見えなくて所かまわず涙腺が頑張ってしまう。

夜に気分が落ち込むのは、まあ、当然かな(当然でもないか)と思う。とりあえず温かい紅茶でも飲んで、Youtubeでお気に入りの料理動画でも見て、散々迷って恋人にどうでもいいようなLINEをして、そろそろ寝る時間かなと思ったところで布団に潜り込みさえすれば朝だ。どうしてもという時はアルコールを入れたり、効率的な自殺方法を調べたりする。やはり一番メジャーなのは首吊りなのか…とか、後遺症は…とか、広大なネットの海では情報は尽きることは無い。真偽は別として。

 

でも、昼の場合は困る。アルコールもなければ温かい紅茶もすぐには淹れられないし、なんといっても人目がある。

私は幼い頃から、かなり人目を気にして生きてきたんだなと最近になって思うようになった。

セルフコントロールなどがいい例だろう。こんなにつらい、死にたい、生きる理由とは、と日々悶々としていても、帰宅するなり大声で号泣していても、地元の親からすれば「あんたには悩みなんて無いでしょ」と笑われるし、研究室の構成員にも「メンタル強いっすねw」と言われてしまうような人間だ。簡単に言ってしまえば。セルフコントロールが上手すぎたのかもしれない。血の繋がった親にさえ、悩みがあるとさえ、言えないほどに悩みの無い自分をスタンダードにしすぎてしまった。

もちろん、セルフコントロールができることは、かなり人間関係において重要なことであると思う。不機嫌を撒き散らす人を見るたび「うおお~」という気持ちになる。だが、あまりにもセルフコントロールをしたために、人並みに悩みがあることさえ誰にも打ち明けることができなくなってしまってからは、セルフコントロールできない人への羨ましいという気持ちが大きくなる一方だ。あんなに周囲に迷惑をかけて大きな顔して生きていける、周りが気遣ってくれる。いいなあ。例えば私なんかは、恋人に振られる時、「おまえは一人でもやっていけるから」って言われる方の人間だと思う。勝手な想像だけど。

手の動くまま書いてみたが、それくらい自分の感情をコントロールすることに長けていると思う。ただし、それは部屋の中であったり、だれもいない場所であったりなどでストレス解消ができているからの話である。

話は冒頭に戻るが、昼間につらくなった時、泣きそうになった時、なすすべが無いのである。これまで泣きそうになるのは大体一人の夜と相場が決まっていたから、昼間にこうなったときにどうするか、経験による解決策がパッと出てこないのである。これはマズい。

今日なんかは気づいたらホームセンターで首を吊るのに最適なロープを物色したりなんかしちゃったりして。ロープの価格の相場なんて把握しちゃったりなんかして。

いずれ死にたいとは思っているけど、まだ全然身辺整理もできてないし、今はまだロープの購入には時期尚早かな。首吊りの方法なんかもまだまだ調べきれていないし…。

 

とにかく早いうちに昼間に外出先で泣きそうになった時の対策を考えなければならない。

こうやって周りに死にたいと思っていることを勘付かれないようにという意識が働いている辺りがやっぱり、そういう人間なんだなあと思ったり。